« September 2008 | Main | November 2008 »

October 2008

October 31, 2008

りゅうちゃんをとること。


 私はまだコイを釣ったことがない。だからコイを釣るのはたいへんむつかしいものだと思いこ
んでいる。ことに野生のコイとなるとたいへんな忍耐と寛容がいるのだと思いこんでいる。中学
時代に友人の一人が淀川の近くに住んでいて、これが釣好きで、毎日学校へくるときに淀川の堤
を歩き、ここぞと思う淵ヘカンバイ粉のダンゴを一箇ほりこむ。学校から帰りしなにまた堤を歩
いてダンゴをほりこむ。そうやってコィを淵に集めると同時に住みつかせ、餌に慣らしてしまう。
何日も何日もそうやって淵ヘダンゴを投げて″餌づけ″してから、頃合を見て竿をふりこむとい
うことになってくる。その話を聞き、教室でダンゴを見せられると、さすがにコィは深淵の棲息
者だと思わせられた。口のはしにたらりと大官ヒゲをたらしていかにもコィは好色なような、貪
焚なような、傲然としているような、そして底知れないような風貌だが、それがとろりとした蒼
暗の淵の薄明のなかで、ハヤやヤマメのように利口ぷらず、わずかにヒレをそよがせて、ゆった
りと動作する。餌をとるのも鬱蒼としてものうげであり、総じてキラキラしないのである。孤独
だの、革命だの、セックスだのと、うかつにハシャイで手軽に絶望するということがないのであ
る。
 九州に″コイとりまあしゃん″という非凡の男がいて筑後川の淵へもぐり、素手で野ゴイをつ
かんでくるという噂はかねがね聞いていて、一度目撃したいものだと思っていた。九州出身の新
聞記者がよく聞かせてくれるのである。それによると、人によって噂はまちまちだが、まあしゃ
んはこうとにらんだ淵へ沈むとまちがいなくコイを抱いてあがり、ときには両腋にかかえたうえ
口に一匹くわえてあがってくる文字どおりの名人だが、たいへんな女好きだというのでもあった。
そしてまあしゃんは、自分でもぐる気のないときにはいくら金を積んでもぜったいもぐらず、な
おネチネチと話を進めようとすると、プイと席をたってどこかへ消えてしまう。それはきっとオ
ンナのところへである、ともいうのである。女房はこわくないのか、とたずねると、いや、こわ
がっている、大いにこわがり、かつ、うるさがっているようである、という。けれどまあしゃん
は九州出身の作家たちにたいへん愛され、火野葦平にも書かれたし、檀一雄にも書かれた。テレ
ビがくる。ブン屋がくる。いまやちょっとした名士となった。目下彼は後継者がいないことを嘆
き、真冬の川へすっ裸でとびこむ凛冽の気風が失われた時代を嘆いているとのことである。
 「……古くは『吉野拾遺』という本の中に、康方という少年が、吉野川の清滝のあたりで大きな
鯉を二本抱えあげてきたという話が見えている」
 檀一雄氏は『石川五右衛門』のなかで少年五右衛門が淵から素手でコイをとってきたという設
定にして″鯉取りの万ちゃん″という男の話を傍証にしている。これがまあしゃんのことである。
「……鯉を抱き獲るには、自分もこの大鯉の大王になったつもりでやらなくてはいかんそうで
――静かに彼らが夢を見て浮かんでいる近くまで泳ぎ降る。さて大鯉の側までゆき、しばらくボ
ンヤリと自分も夢を見ながら浮かんでいるようなつもりになっていると、却って鯉の方から体温
を慕って、少しずつ、少しずつ腹の脇によってくるそうである。鯉が人体のぬくみを慕って、腹
の脇まで寄ってくれば、もうしめたもので、そっと脇の下に受けてやればいい。これも荒だてて
はいけないらしく、やっぱり、抱擁に馴れないウブな少女を、軟かく、やさしく、抱きとめるぐ
らいの、思い遣りが肝要なのであろう。水苔の生えた鯉の鱗を、かりにも逆立てるようなことを
してはいけない」
 さて、火野葦平氏の長篇『陸軍』にはまあしゃんが実名のままで登場する。まあしゃんその人
を主人公とはしていないが鯉の手づかみを主題にしたのでは『鯉』という短篇がある。檀さんも
そうだが、おそらく火野さんもまあしゃんと親しく会って話を聞いてから小説にこなしたもので
あろう。
「……私は水中眼鏡をかけて川底へもぐって行く。水中眼鏡は川へ入る前に、蓬の葉をつぶして
よくふきます。そうしておくと曇りが来ません。泳ぎながら、石垣の間や岩かげを探す。奥の方
に鯉がいます。鯉は私を見ますけれども動きません。私はそっと手をさしのべる。たなごころを
こころもち袋のようにして、正面から鯉の頭に近づける。そのまましばらくじっとしていて、そ
ろそろと手を引くと、鯉が掌に吸いょせられるようについて出て来る。しずかに鯉を胸にひきつ
ける。しずかに抱くようにして水面にあがる。この鯉が身体について来るというのが、どうもや
はり体温を暮っているもののように私は思います。つまり体中から放たれる活気が鯉を吸いよせ
るわけでしょうか。ところが、むずかしいのは川面に浮いてしまってからで、そのときうまくや
らないと、折角そこまでつれて来た鯉を水を切る間際に逃がしてしまうことがあります。これを
逃がさず、一枚の鱗もいためずにあげるのでなければ、上手とはいえません」
 これがコイとりそのものの技と心であるが、いくらそれを体得していても、いきなり川ヘドプ
ンとやってしまってはいけない。とてもそんなあっけないことなのではなく、前日、前々日、前
前々日あたりから細心の注意で或る種の修養と工夫を凝らしておかなければいけないのである。
技神に入るためにはやはりそのための覚悟がいる。捨てねぱならぬものがある。
 「……鯉を捕りに川に入る前は、前日は勿論のこと、少なくとも三日間は女に触れてはいけませ
ん。それは私が何十年という経験から自然に体得したことで、三日以内に女と遊んだときはいつ
も不手際で、成績のあがったことがない。これはその道理で、冷たい水中に入るときには身体中
には活気があふれ、それが水のなかでも熱をおびているほどでなければ、鯉を掌や胸から発散す
る体温によってひきよせることができないからです。身体の調子をつくるために、女と接触しな
いのみならず、数日前から肉食ばかりをします。牛肉、豚、すっぽん、鶏の肝、などを多量に食
ぺるわけです。そして、熟睡をします。すると、身体中にホルモンがみなぎりわたり、皮膚の全
面に脂がぎたぎたとふきだして、冷たい水をはじくようになる。それでも不死身にはなりきれま
せんから、川岸には焚火の用意をしてもらっておきまして、一度水中にもぐってあがるたびに暖
をとるわけです。見物する人にはわからないことですが、これだけの下準備をしてからでないと、
寒中の川には入れません」
 引用が長くなったのはこの稀れな技の人知れぬ苦心に読者の注意をひきつけたいためで、ほか
のことに注意を刺激するためではなかつた。
 福岡県浮羽郡田主丸町の、トラックやバスがプンプン、どかどか駈けぬける街道に面して、小
さな、古い、申しわけないがまことにくたびれたといいたくなるドンプリ飯屋風の家がある。そ
こがわがポセイドンの棲家であって、《鯉の巣食堂》という。店の入口に生簀があり、のぞいて
みると、さぴしい冬の水のなかにコイとウナギがゆるくうごいている。
『……ごめん」
 といって暗い土間に入ると、しぱらくして一人の頑強な男が荒い革ジャンパーを着て登場する。
男は初老と見られるが、首も背も厚く、眼光鋭い。ニッコリ笑うとにわかに稚純のいろがみなぎ
る。すごく厚い手で一枚の名刺をぬきだしたところを見ると
  筑後川かっば
   鯉取マーシャン
    上村政雄
 さてはこれがポセイドンであったか。
 まあしゃんは石油ストーブで股火鉢しながらぽそぽそと、聞かれるままにコイとりの妙諦を話
し、かつ近頃の川が農薬と砂利採取で見るかげもなく荒み、濁ったことを嘆いた。田ンぼに農薬
をまくようになってからは、春、川の本流から田の細流へ上っていくコイが秋になってももとへ
もどらなくなった。おそらく細流へ上って、そこで斃死してしまうのである。おまけに極悪のや
つらがいて、川へ農薬を流して魚をさらっていく。ハヤもコイもいっせいに水のなかをキリキリ
舞いして浮いてくるのでそれとわかる。
 また、砂利採取のために川床が荒れてしまい、とりわけ水がひどく濁ってきた。まあしゃんは
澄んだ水を見るとわくわく昂揚してきて″殺気″がみなぎり、ドプンといきたくなるが、腐った
イワシの眼みたいな色を川がしている日は、闘志も感興もわかぬ。そんな日はどこかへいって誰
かと遊んでいたほうがマシであるという。そんな日にお金を持ってきてもぐってくれんかといわ
れてもとうていその気になれない。まして、コイを何匹あげてくれるかと聞かれると、ムカッと
する。わしの″技術″を見たいちゅう人にはいくらでも見せまっしゅう。しかし、それを金で換
算しようというやつらはてんで誤解しとるタイ。ごめんこうむるバイ。
 まあしゃんは奥へ入って掛軸を二本持ってきた。一本は九十センチのコイの魚拓、一本は一メ
ートルニ十センチの草魚の魚拓。コイのほうは体重が二貫九百八十匁、胴回りが何と六十センチ、
推定百歳というトテツもないもの。草魚のほうは成育の早い魚だから巨大だけれど年齢は二十八
歳ぐらいであろうと土地の水産技官が判定してくれた。さすがは筑後川である。腹の巨きな川で
ある。私はしばらく息を呑む。まあしゃんは掛軸を壁にかけ、誇りにみち、寡黙にそのよこへた
つ。戦後の日本の川にもまだそんな受胎力があったと知らされて私はおどろいてしまう。その巨
きな影はおそらくゆらゆらといつまでもまあしゃんの心を蔽うことであろう。
 まあしゃんからじかに聞くコイとりの戦法はこうである。
 コイはあたたかい季節は敏捷にうごきまわるからヤスで剌すが、手づかみは何といっても寒く
なって淵底にコイがかくれるときである。川を棹でたたいたり、石を投げたりして騒ぎ、コイを
淵へ、淵へと追いこむ。どこをたたいたらどの淵へ逃げるか、その淵の底はどうなっているかを
知っておかねばいけない。まあしゃんは筑後川の淵という淵の構造を掌の筋のように知っている。
さてコイを淵に追いこむと、網で遠巻きして逃げられないようにする。防 疫 線というもので
ある。それから肉食した体を焚火であぶつて脂汗をピッシリかいてからドプンといく。それもス
ポッととびこんで、バチャバチャやってはいけない。バチャバチャやるとコイに逃げられる。コ
イを攻めるには川下からである。そして頭からである。淵というものはどれほど澱んでいても少
しずつ流れているものである。だからしばらく息をつめて眼を瞠っていると、コイのいる淵なら
どこかできっと小さなゴミの群れがはじきだされるのが見えるはずである。そこで″たなごころ
をこころもち袋のようにし″、″抱擁に馴れないウブなりかーちんを、軟かく、やさしく、抱きとめる
ぐらいの、思い遣り″でじわじわとコイの頭をおさえ、縦にして胸へ抱きとる。
 ここまでがしんどい。抱きとってしまえばシカと抱擁し、トンと川底を蹴り、一挙に水面へと
ぴあがって舟へほりこむ。両腋に二匹、口に一匹というぐあいに、いい淵なら一挙に三匹をあげ
ることもざらである。
 淵にコイがいるかいないかをどうして知るかというと、餌を食べた跡からである。アュが川に
いるかいないかは岩についた川苔を貪った口跡があるかないかで判定する。故佐藤垢石老の書く
ところではアュの多い川はプンとアュのいい匂いがするとある。けれどまあしゃんは淵にもぐっ
てから水底の砂泥を見る。コイは逆立ちして砂泥を口で掘ってミミズを食べるが、その跡はポコ
ンと穴になる。オチョコぐらいの穴ならまず百匁のコイである。吸物椀ぐらいの穴なら一貫近く
のコイである。穴にゴミがたまっていなければコイは近くにいる。たまっていたらもうコイはよ
そへいったかもしれない。それからコイの巣というものであるが、コイはどんな岩かげにひそん
でもきっと逃げ道のある穴を選ぶものであるから、それをよく知っておいて、こちらから攻めて
逃げられたらどちらの方角へ走るものか。そういうこともちゃんとわきまえておかねばならない。
 「コイは賢い魚ですか?」
 「賢いです。とても頭のいいやつがおります。いくら網を張ってわたしが攻めても、網にひっか
からんようによこむきになり、首をこうたてて、ツ、ツ、ツと川を走って網をとぴこえて逃げて
しまうやつがおりまっしゅう。かわいいもんですバイ」
 まあしゃんはストーブで股火鉢しながらなおもぼそぽそとコイとり話をつづけた。檀一雄氏と
火野葦平氏が彼とイッパイやりながら二コニコしている黄いろい写真が壁に貼ってある。火野葦
平氏の書いた小さい横軸もかかっている。
 ″鯉の巣歌″と読みたどれる。

こひとり まあしゃん 大河童
ひごひに まごひに ふなウナギ
のぞみ しだいの 腕じまん
すの物 鯉こく 味のよさ
うれしい この店 粋な店
たくさん 来んの 忘れずに
             田主丸 鯉の巣

 まあしゃんのぼそぼそした話を聞きつつ、ハヤの煮つけでイッパイやっていると、小さな店の
なかを、家が破裂するかと思うくらい巨大な体躯の二人の息子さんが孫を抱いて出たり入ったり
する。息子さんの嫁がまた出たり入ったりする。婆さんが孫を背に負って出たり入ったりする。
まあしゃんの奥さんである。遊んでいるのはまあしゃんだけらしい。心なしか婆さんが通りかか
るたびにジロリとこちらを一瞥し、その眼光はいかにも鋭くリアリスティックであるように感じ
られる。
 そのうち甲高い女の声が奥から
「そんなとこで何しとるんバイ!」
 とひびいた。
 まあしゃんはヒルんだ眼のいろになったが、厚い手をもみつつ、ぽそぽそと、コイとり話をつ
づけた。いけない気配である。とても日常的、かつ悪質に重いようである。われわれはこそこそ
と家をでて筑後川へいった。冬の筑後川は寒風がひょうひょうと吹いているが、淡い陽が射して
いた。青い水がいっぱいにみなぎって流れ、それは裂くように冷たいが、水量が豊かなせいか、
刀の刃のようには感じられない。まあしゃんは知りあいの農家から薪を二束借り、岸にもやって
あった小舟にのせ、われわれはゆらゆらと流れていってから、ササの茂る岸につけた。そこには
古い護岸工事の石が水に沈み、深い淵があり、水がとろりとしていた。
 薪を積んで火をつけるとまあしゃんはすっ裸になり、灰青色の水泳パンツをはき、古外套を肩
にひっかけて火にあたった。その古外套はおそらく米軍の放出品か何かではないかと思うのだが、
旧帝国陸軍の満蒙派遣軍が着ていたのではあるまいかと思えるほどの年代物である。
 まあしゃんは五十四歳だが、少年時代から水で練りあげ、こねあげ、たたみあげたその体躯は
柔軟、かつ頑健であった。そして、よく見ると、腹に一つ、顎のあたりに一つ、古い傷痕がある。
あきらかに刺傷である。私の眼に気がついたらしく、まあしゃんは腹の古い刺傷を撫でながら、
苦笑を浮かべて、若い頃に鉄火気質でやった。“出入り″のことを話した。あまり深くは話したが
らないが、彼は昔はかなりの鉄火で、やり手で、川筋の若い衆で、正面へ体をひらいて切った、
はッたをやったらしい気配である。河童は陸へあがると炸けるものらしい。
 風が吹き、薪が燃える。
 まあしゃんは草にしゃがみこんで火に手をかざしながら
 「こうやって腹と背をあぷっていると脂汗がじわじわとでてきまっしゅう。全身にピッショリな
 ったぐらいがちょうどいい。そこを見て水に入るですタイ」
 そういってしばらくだまったあと、女の話をぽそぼそとはじめた。この近くの温泉場の小料理
屋ではたらいている女とねんごろになったが、近頃、女は久留米へ移り、そこでも小料理屋では
たらいている。一度きてくれとヤイヤイいってくるが、まだいっていない。一度いってみたいも
のだと思っている。
 「だんだん体があたたかくなってくると、KINTAMAが下へおりますバイ。ニツ玉がそろっ
ておりきったあたりがいいんです。これが体温計でっしゅう」
 そういってしぱらくだまったあと、またまあしゃんは女の話をぽそぽそとはじめた。それはさ
きの久留米の女とはぺつの女で、床屋の後家さんである。この夏に亭主が八代の海岸で泳いでい
て死んだので、いたましいことだと思っていたら、気丈な後家さんで、立派に女手一つで店を切
りまわしはじめた。以前から気はあったのだが亭主もいることだし、そしてそれが不幸なことに
なったのだし、と思ってひかえていた。ところが近頃耳にしたところでは、学生がチョコマカ出
入りしているというので、それじゃあと、意を通じてみたら、後家さんはウンといった。それで、
明日、いってみようと思う。
 「明日だというもんだから、今朝、爪を切ったとです。コイをつかむには爪をのぱしているほう
がいいんです。逃げようとしたらカッとたてられます。けれど、今朝、爪を切ったとです」
 まあしゃんはそういいながら指の爪をしげしげと眺めた。そして、そのあと、息子二人に店を
まかしてあるからおれはもうすることがない。ところが家でゴロゴロしてると女房がガミガミいう。
そこで女のところへ遊びにいくと、また女房がガミガミいう。気がクサクサしてやりきれない。
だから耳納山へ鉄砲を射ちにいったりコイをとったりして遊ぶ。そのときだけはのぴのびと楽しい
んじゃ。いつぞやは東京の檀先生の家へ尾が一メートルもあろうかというヤマドリを射って
送ってやったことがある、という。
 アメリカにもリップ・ヴァン・ウィンクルといってガミガミ女房を持った男がいて、あまり女房に
ガミガミいわれるのでクサクサしていたら、或る日、裏山で小人が遊びにおいでと誘いをかけ
てきた。そこでウィンクルはいそいそと山へでかけ、小人たちといっしょにボウリングをして遊んで
いるうちに、とうとう浦島さんになってしまったという話がある。どこでもおなじなのじゃないか。
私がそう説明しにかかったが、まあしゃんは短くなった爪に見とれていて、いっこう耳に入った
気配がない。ぼそぼそと、床屋はいい商売なのだとか、しっかりした後家さんなのだなどとつぶ
やいている。
 そのうちまあしゃんは古外套をポンとはね、ヌッとたち、全身にテラテラ汗をうかべて寒風の
なかを歩き、やにわに川へとびこんだ。それはドブンでもなく、バチャッでもなく、ピシャッでもなかった。
ザブンでもなく、ズボッでもなく、ザバザパッでもなかった。青い深淵はまあしゃんを音なく
呑みこんで、屈強の男一人をまるまる呑みこんだとも見えず静かで、とろりとした渦を巻いて
ゆっくりと、流れるともなく流れていく。
風が吹き、薪が燃え、私はタバコに火をつけようかと思う。まあしゃんの潜水の最長記録は二分
十五秒であるという。そのあいだに彼は淵底をしらべてコイの穴を観察し、判断し、眼をこらし
てゴミをはじきだしているところがあるかないかを観察し、判断し、じわりじわりと川下から、
頭からコイを攻めにかかり、体温を放射し、ウブな少女を誘いだすように胸へ誘いだし、抱きと
りにかかるのである。水中眼鏡はさきほどあたりのョモギをむしってゴシゴシと拭いておいた。
なぜかしらョモギの葉で拭いておくと、いつまでも、何度もぐっても、ガラスがくもらないとい
う。だからまあしゃんはいまこの淵の底でよくよく眼を澄ませてランデヴーの散歩をしているの
である。
 ふいに水が裂け、ガバッとまあしゃんが頭と肩を飛沫のなかに見せた。口に一匹コイをくわえ、
両手で一匹抱きしめている。コイは重く、はげしく彼の口ではねまわる。ヤ、ヤ、ヤ。やった。
剛健、克己、無垢は完成した。まあしゃんは体をふるって水からあがり、水中眼鏡を額におしあ
げフウッと息をついて、コイを小舟のなかへ吐きだす。そして焚火のところへ歩いていて、体を
古タオルで拭いてから、古外套を肩にひっかけ、手を火にかざした。ニツ玉はすっかり小さくな
り、傷だらけの体をまあしゃんはブルッ、ブルッとさせるのである。
 「水のきれいなところにいるコイは赤銅色をしてますタイ。近頃は川が荒れたのでそんなコイは
いなくなった。青白いです。食べても天然のコイはうまかですが、養殖はまずいです。話にならん
です。カイコのサナギを餌にやるとムクムク太るとですが味がよくない。そこで餌をいろいろと
会社は研究しとるとです」
 赤銅か蒼白か。二匹のコイは大官(マンダリン)ひげをふるわせて乾いた小舟のなかで体を
おどらせ、暗愁も絶望もない眼をまじまじ瞠って大きな息をつく。 やがてまあしゃんの体が
乾いてきたので、われわれは小舟にのり、棹におされるままゆらゆらとさかのぽり、もとの岸につく。
船外モーターを鳴らして二人の男が走っていく。あれはハヤとり専門の男で、ハヤしかとらんと
ですとまあしゃんが棹をおしつついう。また一人の男が小舟を対岸につけ、草むらをのぼりながら
こちらへ、よおおッと声を投げてくる。とれたかあああッ。まあしゃんが声を投げかえす。まあまあ
ってとこだああッ。長い堤に陽が落ちかかり、水はキラめき、ススキがぼうぼうと風になびいている。
 さてこうして私はかねてからの念願のまあしゃんを実見した。まあしゃ
んは噂にたがわず名人であり、女好きであり、剛健の気風を持していた。
その技は純潔、無雑である。魚を素手でつかむ以上に稚純な、おおらかな、
かつ精緻な、魚と人とのまじわりかたがあるだろうか。防疫線(コルドン・サニテール)の網を
張ってコイを逃がさないようにし、夏はヤスで刺し、ときには手網を持ってもぐるとしても、それは
アフリカ人やカナカ島人も不可欠としてやっていることである。ヤス。網。手網。これらのほかにまあ
しゃんが使う人工は水中眼鏡とヨモギの葉っぱくらいのものである。つまり彼はようやく石器
時代をぬけだして糸で網を織ることをおぼえはじめた当時の直立歩行類猿人の時代に住んで
いるのである。コンクリもスモッグもなくて、家といえばただ木と茅で組みあげていた当時のヒト
が川へもぐったように彼は川へもぐる。筑後川が寡黙な彼の動脈である。ときには水深十ニ
メートルもある淵を持ち、体長一メートルにも達する巨魚を内蔵することもある、荒みながらも
なお子宮の深く、豊かな筑後川が彼の動脈である。はじめて私はこの川の腹腔の内部を瞥見
することができて、歓んだ。それは想像していたよりはるかに繊緻、広大、かつ深遠であった。
 削りたての白木の肌理を私たちは無上に歓ぷが、まあしゃんの技とはそのようなものである。
腹の匕首の古傷も、淵や山をさまよう孤愁も、水がよごれていたら断じてもぐらないという宜言
も、水が澄んでいたらしゃにむに殺気がコミあげてとぴこみたくなるという感応も、まさに日本
人そのものである。その夜、柳川へ走って、旧立花侯邸の《御花》の一室で、これはまたゆかし
い北原白秋の《思ひ出》の覆刻版を二十年ぶりくらいに頁パラパラと繰りつつ、白くて硬い敷布
のうえで、私はほのぼのとくつろいだ。筑後川はもう濁ってくれるな。まあしゃんはコイや女と
遊べ。風はたわむことなく吹け。そして女はいつまでも″召す″、″召せ″などという古語を稚く
つぶやけ。

| | Comments (3)

October 28, 2008

最近・・・

2008_10_28tlm2

最近、うちの近くでもこういう風景を見かけなくなってしまった。

2008_10_28tlm3

サメ。

| | Comments (0)

October 26, 2008

もつ煮込みちゃんぽん。

2008_10_26motu1

野間四つ角にある「和食屋が作るもつ煮込みらーめん」という
変わった店に行ってきやした、
まさかこれが屋号?
中に入るなりびっくりするのは
厨房がない!まじすか?こんなラーメン店、日本でここだけでしょう。
どでかい冷蔵庫だけはありやした。
カウンターのみ、8席か9席程。

2008_10_26motu2

メニューはしょうゆ、しお、みそ、韓国風、四川風。
味噌を注文すると、カセットコンロが据えられ、
鍋がドン!これってどー見てももつ鍋でやす。
かわいい赤いかまぼこもキャベツも入っていませんが
もやしがたっぷりでした。

2008_10_26motu3

火をつけると、いかにも和食職人らしい方が調理してくれます、
なんと!生の上質なもつが10個も入っています、
これで1人前たったの550円!
中央区だったら確実に1100円はとられるでしょう。
私はラーメンはやめているのですが、チャンポンならOKでやす。
味噌が白っぽい系統のものだったのでもっと茶色系で
味噌を全面に打ち出してくれても良かったです。
通常我が家では内臓系は出てこないのでたまにホルモン系を食べると
ガツンと来てしまいますが、もつ鍋のラストの麺投入の儀式を待たずして
ちゃんぽん麺が食えるっちゅう、なかなかのお店でした。
今度は醤油を食べてみよう・・・。

| | Comments (3)

カレー屋。

2008_10_26kare

春日市の西友の中の創作ラーメンの店が潰れてカレー屋になった。
ランチを食べてみたけど、なんかコクがないような・・・
と、思ったらベジタリアンカレー専門らしい。
どうりでチキンもマトンも肉っけが全くないのだ。

| | Comments (0)

October 21, 2008

でかいごぼう天。

2008_10_21udon1

前日から続きです、赤坂でラーメンおじさんとあごだしラーメンを食って店を出たらどうもラーメンおじさんが
不完全燃焼の様子、もちろん量が少なくて食い足りないのだそうです。
わし、まだ食えるでぇ~とのたまう。
本当は下山門のうどん屋に連れて行きたかったのですがどうも交通の便が悪すぎる。

2008_10_21udon2

もうしょうがないので、地下鉄から筑肥線で上山門に向かい、歩いてもらうことにしました。
私一人なら、バイクで向かえばいいのですが、一人となると別に行かなくても良いんです。
私はグルメではありませんから(笑)。
そういう根性とお金は持ち合わせていないのが半端というか何というか・・・。
おじさんは野菜天のぶっかけだったかな。
600円の割にはかなりのボリューム、これ良さそう。

2008_10_21udon3

ゆおりんはごぼう天。
見た目はすごいよねぇ~。
いざ、食べるとゴボウの数は半分でいいから、厚さを倍にして欲しかった気もする。
ウエストのゴボウ天は以外とゴボウの味がするし・・・。
450円だったかなぁ~、これ凄いと思う。
麺は以外と細め、注文してから出てくるまでは結構時間がかかります。
しかし、カウンターから揚場の様子を見ていたらとても楽しかったです。

ただ・・・・・遠距離なの・・・・・・。

| | Comments (4)

October 20, 2008

赤坂のふぐ料理店。

2008_10_20ida1

ふぐ料理屋さんが昼だけラーメン屋さんに変身するんです。
変なおじさんは気にしないでください(笑)。
とてもきれいなお店で、接客もとてもいい感じです。
凄く気に入りました。

2008_10_20ida2

ラーメンおじさんはアゴ豚骨Aセット、

2008_10_20ida3

私はアゴAセット、ふぐシューマイが付きます。
通常アゴだしラーメンというと青魚の臭いがかなりきついですが、
さすがにここは優しく仕上がっていると思います。
ただ、こうなると初めからトビウオなど使わずに、鰹だしにしたらと云う気がしないでもないです。
でもそこまで行くと、ラーメン入れずに蕎麦でも入れようよと云う感じが・・・。
麺は加水が多いタイプで、麺には力が入っていないかな。

2008_10_20ida4

ふぐシューマイよ。

2008_10_20ida5

博多ラーメンが大好きでしょうがない人は行かなくていいです。
でも、とても面白い企画だと思いましたし、お店に入ってウキウキしました。

| | Comments (4)

October 14, 2008

カリ~娘。

2008_10_12across

今が今まで「カレー娘」だと思っていた。
正しくは「カリ~娘」だった。
じぇんじぇん気が付かなかった。

| | Comments (2)

最近のお友達。

2008_10_13cat

白ネコ3兄妹の生き残りの耳黒にエサをやっていたら最近寄ってくる子猫の茶トラ2号。
ちょっと前まで母猫と兄妹2匹で来ていたのに、こいつ1匹になってしまった。
寂しかろうに・・・。

| | Comments (0)

October 11, 2008

東京の・・・

2008_10_11tlm3

ボンラパスで見つけたのですが値段が高くて・・・。
もの凄く悩んでいます。
元祖で替え玉をしたと思えば500円。
う~ん。。。。
東京に行ったと思えば525円なんて。。。。。
あ~~ん。。。
誰か、買ったこと有る??
右のビーフカレーの方ね・・・。

| | Comments (3)

October 08, 2008

新居。

2008_10_8cat

寒くなってきたせいか、猫が布団の上に乗る。
重たくて目が覚める。。。

| | Comments (0)

October 03, 2008

電車。

2008_10_3den1

図書館で見かけた本。

2008_10_3den2

そういえば南福岡のそばには昔、濃い小豆色の車両が置いてあった。
いつのまにか消えたし、正確な場所も覚えてない。
あれは、どうなったんだろう??

| | Comments (0)

October 02, 2008

昨日のスポーツ報知。

2008_10_01eriko_houchi

これは、スポーツ報知。

2008_10_01eriko_nikkan

上は日刊スポーツ。

2008_10_01eriko_suponichi

上はスポーツニッポン。

| | Comments (0)

« September 2008 | Main | November 2008 »